2022.12.17
とある週末の田子町。
週末といっても、なかなか人の出が少ないこの町の一角で、多くの人が何かを求め人だかりになっていました。
その人だかりの中心にいたのが、「りんごとごりら」さん。
田子町で今年起業された、パンの製造・販売を行なっている事業者さんです。運営しているのは、木村治樹さんと知子さんのご夫婦。
ご夫婦で事業を展開されている彼らは、実は田子町出身ではなく関東方面からの移住者。
移住者がなぜ田子町のような小さな町に?そしてなぜパン屋を?
今回は、そんなりんごとごりらさんにお話を伺いました。
(木村知子さん、以下知子)ご贔屓にしてくれるお客様も何人かいらっしゃって、とてもありがたく思っています。
あまり市販されていないようなパンを作っているので珍しがって買ってくださいますし、「おいしかった!」と言って、また買いに戻ってきてくださるときもあって、それはとても嬉しいです。
今後も商品開発をしてメニューを変えていったり、旬の食材を使ってパンを作っていきたいと思っています。
楽しんで食べてもらえたら嬉しいですね。
(以前取材させていただいたみろく館での販売会。行列ができるほど盛況!)
(木村治樹さん、以下治樹)田子の食材・環境でしか作れない天然酵母を使ってパンを製造・販売しています。
酵母菌は空気中に含まれていて、簡単に言うと滅菌した瓶の中に水と小麦粉と空気を閉じ込めることで、菌が増殖して酵母ができます。
田子町の食材や空気でしか生まれない地元ならではの酵母を作って、それをもとにパンを作っています。
また、食材も町内の方からいただく農作物なども使いながら作ってますね。
(クロワッサンを作る治樹さん。流石のプロの技)
(知子)まだ移住してきて1年半ほどなので、パンの製造は田子町にある加工場をお借りして製造しています。
販売も、町のお祭りやイベントなどに出店して販売しているのですが、最近ようやく田子町内にお店の候補地が見つかって、来年には自分達のお店が持てると思います。
お店の名前も「りんごとごりら」に決まり、今は様々な準備で忙しくしているところです。
(イベント出店すると、販売開始数十分で売り切れてしまうことも)
(知子)私たち、しりとりが好きでよくしりとりして遊んでるんですけど、せっかく青森で起業したので、「りんご」って名前をお店に入れたくて。
それでしりとりで「りんご」とくれば、「ごりら」ってなるじゃないですか(笑)それで、「りんごとごりら」になったんです。
私たちの見た目からそうなったわけじゃないんですよ(笑)
(ご友人にデザインしてもらったというロゴ。どことなく治樹さんに(笑)?なぜドラムを叩いているのかは記事の後半で明かされます)
(治樹)私は東京出身、妻は神奈川出身です。2021年に東京から田子町に移住してきて、
平日は田子町役場で地域おこし協力隊*として活動しながら、
休日は個人事業でパンの製造・販売を行なっています。
*地域おこし協力隊とは、都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組です。詳しくは、総務省のウェブサイトをご覧ください。
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/02gyosei08_03000066.html
(2人が作るパンはどれも本格的)
(治樹)移住前は東京の会社が運営するパン屋で、社員として、店長として、店舗を任されていました。
昔からパンが好きだったんですけど、パン屋の空間や雰囲気が好きで、その時は雇われ店長だったんですけど、いつかは自分のお店を持ちたいと思っていたんですよね。
定年してからかなと漠然と思っていたのですが、ある時知子さんから、
「お店持ちたいなら、今でもいいんじゃない?」
と言われたのが起業・移住のきっかけでした。
(知子)彼がいつかパン屋を開業したいというのは、出会ったときから知っていたんです。
共通の友人が開催したお花見会で出会った時にそんな話を聞いて、当時私は管理栄養士として働いていたので、パン屋開業に関係する資料なんかをその後すぐに準備してあげたんですよね。
すぐに開業とはならなかったんですが、その後結婚して、彼はパン屋の社員として、私は保育園で栄養士として働いていたのですが、パン屋で働く彼が本当に大変そうで。。。。
2人での旅行中、人が足りないとお店から連絡があって、急遽旅行を中止して東京に戻ったこともありました。
そんな姿を見ていたし、コロナもあったので、環境を変えた方がいいんじゃないかと思ったんです。
(治樹)芸能人が来るような繁盛したお店を任されていたので、毎日忙しかったんですが、
繁盛するお店だと大量にパンを生産しないといけなくて、たくさん作るということは大量に廃棄することもありました。
毎日の忙しさよりも、まだ食べられる自分の作ったパンが、衛生上の問題で廃棄されていくことに本当に悲しくなっていました。
そんな時に知子さんから自分たちのお店を持つ話をされたんですよね。
小さい時から慎重な性格の自分はどうしようか悩んだんですが、ふと立ち寄った本屋さんで、
「捨てないパン屋(田村陽至著書)」という本を読んだんです。
そこには普段自分が思っていた大きな町にあるパン屋の悩みが全て書かれていて、そんな悩みを抱えない・無駄を作らないパン屋を経営されている方が世の中にいるのをその時知ったんです。
その本を読んで人生観が変わったというか、お客さん中心ではなく、自分自身が豊かな暮らしをするにはどうしたらいいのかと考えるようになって、それで自分達のお店を持つことに決めました。
(知子)もともと2人とも旅行が好きで、日本のいろんなところに行っていました。
たくさんの場所を見たことで、お店を持つなら山が見えて、自然豊かなところがいいなと思っていました。
私たちが育ったところはそういう場所ではなかったので、そういった地方への憧れもありましたかね。
あと大事だったのは、「食育」。
栄養士として働いていたので、本当の意味での健康は、食べる「もの」が大事だと考えていて、
自分達がどういったものを食べるのか、
どういったものを使ってパンを作るか・お客さんに食べてもらうか
が、重要だなと思った時に、自然と新鮮な野菜や食べ物が豊富な地方への移住を考えるようになりました。
青森に移住したのは、たまたま夫婦で津軽で行われたツアーに参加した時に、他の地域では感じなかった青森の人の温かみを感じて、津軽弁もなんだか心地よかったんです。
津軽方面は雪が多いと聞いていたので、青森で他に雪が少なくていい場所がないかと探していた時に、
田子町の職員さんが本当に熱心に相談に乗ってくれて、その方や田子町と縁を感じて田子町に移住しました。
(移住する前、津軽でのツアーでりんご狩りを体験)
(知子)最初に就職した会社が、病院食を作る会社だったんです。
それも終末期ケアとして食事を出すようなところだったんですが、その時に幼少期にどんなものを食べるかって本当に大事だなと思ったんです。
健康でいるには、食べるものが大事。小さい頃からそれがわかっていれば病気の予防にもなる。
そんな想いもあって、転職して保育園に入って、子どもたちに食育を教えたりしていました。
地方には採れたての美味しい野菜や果物がたくさんあるので、移住するならそんな環境がいいなと思っていたんです。
(知子さんが保育園で働いていた時の写真)
(知子)違いますよ(笑)!栄養士として働いていたので、パン屋を開業したいと聞いて、何か手助けができないかなと思ったんです。
食に関する情報を調べるのも好きだったし、食品衛生表示のこととか調べて教えてあげたいなって思って連絡を取り合いました。
2回目に会ったときに、「どんなパン屋さんを開きたいの?」って訊いたら、
「魔女の宅急便に出てくるグーチョキパンみたいなパン屋をやりたい」って聞いて、
見た目とのギャップにキュンと・・・(笑)。
見た目とのギャップって言ったのは、私の話を聞いていた治樹さん、目は私を見てるんですけど、顔は横を向きながら真顔で話を聞いてて。時折大きな声で話すし。
最初は、話に興味ないのかな、なんだか怖いなって印象だったんですよ。
そんな人が魔女の宅急便のグーチョキパンとか言うので(笑)
(治樹)いえいえ。
怖そうに見えたのは知子さんに申し訳なかったですが、話が気に食わなくてそんな態度をとっていたとかじゃなくて、
実は自分は右耳が小さい頃から全く聞こえないんです。
3歳の頃のおたふくかぜが原因で、右耳が完全に聞こえなくなってしまって。
なので、話を聞くときは聞こえやすいように顔や体を横向きに、話が聞こえてないと悪いと思って、どうしても一生懸命声を聞こうとすると真顔にもなってしまうんです。
自分の声も聞こえにくいので、自然と大きな声で話すようになってしまいまして。
耳が聞こえない分、俯瞰的に物事を見るようになって、慎重な性格になったのもそのせいかもしれないです。
日常生活にはそれほど影響はないのですが、イヤホンが片耳だけ聞こえなかったり、昔バンドをやっていたので、周りの演奏を聞くのにも本当に苦労しました。
(治樹さんに声が届きやすいように、出会った時から知子さんは自然といつも治樹さんの左側に)
(治樹)右耳は聴こえてなかったんですけど、音楽を聞くのは小さい頃から好きで、LUNA SEAが好きなんですよね。
それで、どうしてもバンドをやってみたくなって、高校から軽音部に入ってバンドを始めたんです。
最初は周りの音を聞くのに苦労したんですが、徐々に慣れてきたんです。
始めた当初はギターだったんですけど、どうしてもFコードが弾けなくて、ギターは途中で断念。
ドラムもかっこいいなと思っていたので、それからはドラムを叩いています。
大学卒業後も続けて、実はプロを目指していたんです。
25歳の時に大手の音楽事務所から声がかかってデビュー目前まで行ったのですが、その会社から音楽性のことでいろいろ言われて、結局デビュー目前でバンドが解散・デビューの話も無くなってしまいました。
その後もまたバンドを作って続けたんですけど、音楽性の芯が固まらないまま5年後にそのバンドも解散、プロを目指すのはそこで諦めました。
パン屋の道に入ったのは、バンドが解散してからなんです。
(奥でドラムを叩いているのが治樹さん。)
(治樹)自分は小さい頃から人を楽しませるのが好きだったんですよね。
自分で言うのもなんですが、学生時代は人気者で目立ちたがり屋で、学級委員にも選ばれたりしてました。
今でも人を楽しませるのが好きで、移住してからも時々ドラムを叩いて演奏するんですけど、周りの皆さんが喜んでくれるのを見るのが好きなんです。
エンターテイメント性のあるものが好きなんですよね。
劇団に入って俳優として舞台に立ったりもしてましたし。知子さんもバンドをやっていたんですよ。
(知子)私も、高校生の時に軽音部でバンドを始めました。
高校デビューしたいな(笑)なんて思って始めたのがきっかけだったんですが、バンドを始めたことで自分自身に大きな影響がありました。
それは、「自分自身の意見をしっかりと伝える」ってことで、
私自身小さい頃からおとなしくて、自分の意見を言うような性格ではなかったんです。
子供なのに泣かない赤ちゃんだったらしいですし(笑)。
それがバンドを始めて、メンバーと話し合うときに、しっかり自分の意見を伝えないといい演奏ができない・みんなと楽しんで演奏できないなと気づいたんです。
それ以来、自分の意見はしっかり伝えるようにしています。
治樹さんに出会ってすぐに開業の資料準備したことなんかも、バンドを始めてなければなかったことかもしれないですね。
(おとなしかったという知子さんの幼少期)
(治樹さん、面影がありますね)
(治樹)自分は、協力隊としては町の観光・イベントの振興が任務になっています。
バンドマンであったことが活きそうなことがあって、田子町には、青森県の無形文化遺産に選ばれている田子神楽だったり、地域の盆踊りナニャドヤラだったり、音を使った地域の芸能があるんです。
これまでの伝統を大事にしつつ、今の音楽やバンド・ドラムと掛け合わせることで新しいものが見えてくるんじゃないかなんてことも考えています。
地域の方の理解がないとできないことではありますけど、例えば自分がドラムを叩いて、ナニャドヤラをやってみるなんてこともできるんじゃないかなと。
いつかはこの町で音楽フェスとかもやってみたいとも考えています。
(移住してきて、地域の伝統芸能にも挑戦。さすがバンドマン、様になってます!)
(知子)私は、地域おこし協力隊の任務としては移住・定住担当なので、移住者の交流推進や移住希望者のサポートを行なっています。
東京に出張して移住イベントに参加したり、オンライン移住相談会を行ったりしています。
バンドを始めたことで分かった自分の意見を伝えることの重要性が、移住希望者へのサポートという今の協力隊の仕事にも活きているように感じています。
将来的には、移住支援団体を作って田子町に移住してくる方達の受け皿にもなりたいですね。
あと、栄養士・野菜ソムリエの資格も活かして、ニンニク以外にも美味しい野菜が田子町にはたくさんあるので、そういったもののPR・ニンニク以外の特産品作りなんかもやりたいです。
子ども服や不用品のリサイクルができるようなシステムもできたらいいなと思っているので、パン屋以外でもやってみたいことがたくさんありますね。
(バンドがきっかけで身につけた「自分の意見を伝えること」。移住相談会でも役立っていそうです。)
(知子)移住してから1ヶ月後にYoutubeのチャンネルを開設して、私たちの青森での暮らしの情報を発信したりもしています。
(Youtube:夢見るパン屋の地方移住ちゃんねる https://youtube.com/@user-nk8sc9el9x)
私たちはパン屋を開業したいと思って移住してきたんですけど、あくまでパン屋をやるのは1つの手段だと思っていて、
根本には「自分達の理想の暮らし方を田子町で叶えていきたい」
と言う考えを持っています。
その理想の暮らしの1つとしてあるのが、
「私たちがその時その時に想うことを外に伝えていくこと」なんです。
私たちは少しずつ私たちなりの理想の暮らしに近づいていっているとは思うんですけど、世の中には治樹さんが移住前に悩んでいたように仕事で悩んでいる人とか、やりたいことがあるけどやれない環境にいる人とか、生活を変えたいと思っている人がたくさんいると思うんです。
そういった人たちに私たちのYoutubeやSNSでの情報発信を通して、少しでもみなさんなりの理想の暮らしに近づいていってほしい、その手助けになってくれればなと思ってYoutubeやSNSで情報発信をしています。
(Youtubeの編集は治樹さんが担当。動画の編集は移住してきてから覚えたとか)
(治樹)バンドや劇団など、人を楽しませることが好きだった自分にとっては、オープンするパン屋にもエンターテイメント性を感じてもらえる、お客さんがお店で楽しんでもらえるような店作りをしたいと思っています。
それこそ、魔女の宅急便のグーチョキパンみたいなイメージです。
パンの匂いや見た目、暖かみのある店内の空気を「五感」で楽しんでもらいたいです。
お店のロケーションとしては、田子町の中心地も良かったんですが、田子の自然豊かな景色を楽しんでもらいたいと思い、中心地からは少し離れたところに構えようと思っています。
お店に来てくれたことへの特別感を作り出して、ぜひ五感で楽しんでもらいたいです。
もちろん、なかなか遠くに来れない方向けに町内中心地での委託販売や、イベント出店はこれからも続けたいと思っているので、ご安心ください。
(知子)田子町の農家さんと話していると、商品にならない農作物がたくさんでることがわかりました。
時折農家さんからそういったものをいただくことがあるのですが、そういった商品にならないものをうまく加工してパンの材料として使って行きたい、今まで農家の皆さんがお金にならなかった部分を活かしていきたいと思っています。
今はそういったものを、「お金はいらないよ。」と言われて買わせてもらえないこともあって、
私たちがお店を出す・結果を出すことによって、商品にならなかったもの・捨てられていたものに価値を生み出す循環ができればと思っています。
(知子)私の方が社交性があるからってことで、私がりんごとごりらの代表を務めさせてもらってますが、治樹さんの方こそ社交性があって外に出て行ける人だなって思ってます。
移住してきて、いろんな人と繋がっていつも周りを楽しませている。
治樹さんが代表でよかったんじゃないかとも思ってるけど、私は私でできることを頑張りたいと思っています。
今後も頼りにしています。
パンの製造も大変だし、人付き合いで外に出ないと行けないことが多いけど、腰とか痛めることなく頑張ってほしいです!
(治樹)何をやるにしても一生懸命やる人。
不器用だから失敗もあるけど、自由に、実直に取り組まれる姿を尊敬しています。
枠にとらわれず、自分を持って、パン屋だけではなく経営の幅を広げて行ってほしいです。
自分の意思を信じて経営して行ってほしいです!
ありがとうございました!
-あとがき –
実は、木村夫妻とは、もう2年の付き合い。
「人を楽しませることが好き。エンターテイメント性のあるものが好き」
そう語ってくれた治樹さんと知子さんの周りは、いつも明るい空間で自然と元気にさせてもらえる、そんな空気感が漂っています。
彼らが移住してきて驚いたのは、パン屋をやりたいと言ったことよりも、
「町の空気を明るく変えたこと。」
パン屋をやることは誰でもできるけど、町や場の雰囲気を明るく変えることは誰にでもできることではないと言うのを、感じていました。
そんな彼らがいよいよ来年パン屋をオープン。そしてそれ以外のところでもさまざまなチャレンジを継続しています。
彼らが作るパンも、五感で楽しめるパン屋も楽しみですが、
今後彼らがどんな空気を田子町で作ってくれるのか、こちらも楽しみです。
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りんごとごりら
営業時間:不定期でイベント出店などされています。詳しくは下記SNS等でご確認ください)
(Twitter:りんごとごりら https://twitter.com/ringotogorilla)
(Instagram:りんごとごりら https://instagram.com/ringo.to.gorilla)
(Youtube:夢見るパン屋の地方移住ちゃんねる https://youtube.com/@user-nk8sc9el9x)
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(Written by 五十嵐孝直(サンノワ田子町PR大使)
五十嵐 孝直
田子町の魅力をお届けします!