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理想の暮らしを田子町で。元バンドマン夫婦が挑む 「五感」で楽しむ、新しいパン屋の形

理想の暮らしを田子町で。元バンドマン夫婦が挑む 「五感」で楽しむ、新しいパン屋の形

とある週末の田子町。

週末といっても、なかなか人の出が少ないこの町の一角で、多くの人が何かを求め人だかりになっていました。

その人だかりの中心にいたのが、「りんごとごりら」さん。

田子町で今年起業された、パンの製造・販売を行なっている事業者さんです。運営しているのは、木村治樹さんと知子さんのご夫婦。

ご夫婦で事業を展開されている彼らは、実は田子町出身ではなく関東方面からの移住者。

移住者がなぜ田子町のような小さな町に?そしてなぜパン屋を?

今回は、そんなりんごとごりらさんにお話を伺いました。

 

◇パン屋さん、多くの人が買いに来て賑わっていますね!

 

(木村知子さん、以下知子)ご贔屓にしてくれるお客様も何人かいらっしゃって、とてもありがたく思っています。

あまり市販されていないようなパンを作っているので珍しがって買ってくださいますし、「おいしかった!」と言って、また買いに戻ってきてくださるときもあって、それはとても嬉しいです。

今後も商品開発をしてメニューを変えていったり、旬の食材を使ってパンを作っていきたいと思っています。

楽しんで食べてもらえたら嬉しいですね。

(以前取材させていただいたみろく館での販売会。行列ができるほど盛況!)

 

◇今は、どんなパンを作って販売しているのでしょうか?

 

(木村治樹さん、以下治樹)田子の食材・環境でしか作れない天然酵母を使ってパンを製造・販売しています。

酵母菌は空気中に含まれていて、簡単に言うと滅菌した瓶の中に水と小麦粉と空気を閉じ込めることで、菌が増殖して酵母ができます。

田子町の食材や空気でしか生まれない地元ならではの酵母を作って、それをもとにパンを作っています。

また、食材も町内の方からいただく農作物なども使いながら作ってますね。

(クロワッサンを作る治樹さん。流石のプロの技)

 

◇私も食べさせていただきましたが、どれも本当に美味しいですね。

ご自分のお店で製造・販売を?

 

(知子)まだ移住してきて1年半ほどなので、パンの製造は田子町にある加工場をお借りして製造しています。

販売も、町のお祭りやイベントなどに出店して販売しているのですが、最近ようやく田子町内にお店の候補地が見つかって、来年には自分達のお店が持てると思います。

お店の名前も「りんごとごりら」に決まり、今は様々な準備で忙しくしているところです。

(イベント出店すると、販売開始数十分で売り切れてしまうことも)



◇「りんごとごりら」というお店の名前、ユニークですね。

 

(知子)私たち、しりとりが好きでよくしりとりして遊んでるんですけど、せっかく青森で起業したので、「りんご」って名前をお店に入れたくて。

それでしりとりで「りんご」とくれば、「ごりら」ってなるじゃないですか(笑)それで、「りんごとごりら」になったんです。

私たちの見た目からそうなったわけじゃないんですよ(笑)

 

(ご友人にデザインしてもらったというロゴ。どことなく治樹さんに(笑)?なぜドラムを叩いているのかは記事の後半で明かされます)

 

◇大事なお店の名前がしりとりから来ていたとは・・・(笑)

そんなお二人は、関東方面からの移住者と伺いました。

 

(治樹)私は東京出身、妻は神奈川出身です。2021年に東京から田子町に移住してきて、

平日は田子町役場で地域おこし協力隊*として活動しながら、

休日は個人事業でパンの製造・販売を行なっています

*地域おこし協力隊とは、都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組です。詳しくは、総務省のウェブサイトをご覧ください。

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/02gyosei08_03000066.html

(2人が作るパンはどれも本格的)

 

◇移住前からパン屋で働かれていたんですか?

 

(治樹)移住前は東京の会社が運営するパン屋で、社員として、店長として、店舗を任されていました。

昔からパンが好きだったんですけど、パン屋の空間や雰囲気が好きで、その時は雇われ店長だったんですけど、いつかは自分のお店を持ちたいと思っていたんですよね。

定年してからかなと漠然と思っていたのですが、ある時知子さんから、

「お店持ちたいなら、今でもいいんじゃない?」

と言われたのが起業・移住のきっかけでした。

 

(知子)彼がいつかパン屋を開業したいというのは、出会ったときから知っていたんです。

共通の友人が開催したお花見会で出会った時にそんな話を聞いて、当時私は管理栄養士として働いていたので、パン屋開業に関係する資料なんかをその後すぐに準備してあげたんですよね。

すぐに開業とはならなかったんですが、その後結婚して、彼はパン屋の社員として、私は保育園で栄養士として働いていたのですが、パン屋で働く彼が本当に大変そうで。。。。

2人での旅行中、人が足りないとお店から連絡があって、急遽旅行を中止して東京に戻ったこともありました。

そんな姿を見ていたし、コロナもあったので、環境を変えた方がいいんじゃないかと思ったんです。

 

◇東京でのパン屋のお仕事は相当大変だったんですね。

 

(治樹)芸能人が来るような繁盛したお店を任されていたので、毎日忙しかったんですが、

繁盛するお店だと大量にパンを生産しないといけなくて、たくさん作るということは大量に廃棄することもありました。

毎日の忙しさよりも、まだ食べられる自分の作ったパンが、衛生上の問題で廃棄されていくことに本当に悲しくなっていました。

そんな時に知子さんから自分たちのお店を持つ話をされたんですよね。

小さい時から慎重な性格の自分はどうしようか悩んだんですが、ふと立ち寄った本屋さんで、

「捨てないパン屋(田村陽至著書)」という本を読んだんです。

そこには普段自分が思っていた大きな町にあるパン屋の悩みが全て書かれていて、そんな悩みを抱えない・無駄を作らないパン屋を経営されている方が世の中にいるのをその時知ったんです。

その本を読んで人生観が変わったというか、お客さん中心ではなく、自分自身が豊かな暮らしをするにはどうしたらいいのかと考えるようになって、それで自分達のお店を持つことに決めました。

 

◇そこから当時住んでいた場所での起業ではなく、地方に移住して起業。

地方での起業を選んだ理由、田子町移住に至った経緯を教えてください。

 

(知子)もともと2人とも旅行が好きで、日本のいろんなところに行っていました。

たくさんの場所を見たことで、お店を持つなら山が見えて、自然豊かなところがいいなと思っていました。

私たちが育ったところはそういう場所ではなかったので、そういった地方への憧れもありましたかね。

あと大事だったのは、「食育」

栄養士として働いていたので、本当の意味での健康は、食べる「もの」が大事だと考えていて、

自分達がどういったものを食べるのか、

どういったものを使ってパンを作るか・お客さんに食べてもらうか

が、重要だなと思った時に、自然と新鮮な野菜や食べ物が豊富な地方への移住を考えるようになりました。

青森に移住したのは、たまたま夫婦で津軽で行われたツアーに参加した時に、他の地域では感じなかった青森の人の温かみを感じて、津軽弁もなんだか心地よかったんです。

津軽方面は雪が多いと聞いていたので、青森で他に雪が少なくていい場所がないかと探していた時に、

田子町の職員さんが本当に熱心に相談に乗ってくれて、その方や田子町と縁を感じて田子町に移住しました。


(移住する前、津軽でのツアーでりんご狩りを体験)

 

◇移住を考える際に「食育」が大事だというのは、栄養士さんならではの考えですね。

 

(知子)最初に就職した会社が、病院食を作る会社だったんです。

それも終末期ケアとして食事を出すようなところだったんですが、その時に幼少期にどんなものを食べるかって本当に大事だなと思ったんです。

健康でいるには、食べるものが大事。小さい頃からそれがわかっていれば病気の予防にもなる。

そんな想いもあって、転職して保育園に入って、子どもたちに食育を教えたりしていました。

地方には採れたての美味しい野菜や果物がたくさんあるので、移住するならそんな環境がいいなと思っていたんです。

(知子さんが保育園で働いていた時の写真)

 

◇地方には美味しい食材がたくさんありますもんね。話が少し戻りますが、

治樹さんと出会ってすぐにパン屋開業の資料を準備してあげるなんて、

知子さんの一目惚れですか(笑)?

 

(知子)違いますよ(笑)!栄養士として働いていたので、パン屋を開業したいと聞いて、何か手助けができないかなと思ったんです。

食に関する情報を調べるのも好きだったし、食品衛生表示のこととか調べて教えてあげたいなって思って連絡を取り合いました。

2回目に会ったときに、「どんなパン屋さんを開きたいの?」って訊いたら、

「魔女の宅急便に出てくるグーチョキパンみたいなパン屋をやりたい」って聞いて、

見た目とのギャップにキュンと・・・(笑)。

見た目とのギャップって言ったのは、私の話を聞いていた治樹さん、目は私を見てるんですけど、顔は横を向きながら真顔で話を聞いてて。時折大きな声で話すし。

最初は、話に興味ないのかな、なんだか怖いなって印象だったんですよ。

そんな人が魔女の宅急便のグーチョキパンとか言うので(笑)

 

◇確かにギャップを感じますね(笑)

治樹さん的には、知子さんの話を聞きながらまだ開業は早いなと思っていたとか?

 

(治樹)いえいえ。

怖そうに見えたのは知子さんに申し訳なかったですが、話が気に食わなくてそんな態度をとっていたとかじゃなくて、

実は自分は右耳が小さい頃から全く聞こえないんです。

3歳の頃のおたふくかぜが原因で、右耳が完全に聞こえなくなってしまって。

なので、話を聞くときは聞こえやすいように顔や体を横向きに、話が聞こえてないと悪いと思って、どうしても一生懸命声を聞こうとすると真顔にもなってしまうんです。

自分の声も聞こえにくいので、自然と大きな声で話すようになってしまいまして。

耳が聞こえない分、俯瞰的に物事を見るようになって、慎重な性格になったのもそのせいかもしれないです。

日常生活にはそれほど影響はないのですが、イヤホンが片耳だけ聞こえなかったり、昔バンドをやっていたので、周りの演奏を聞くのにも本当に苦労しました。

(治樹さんに声が届きやすいように、出会った時から知子さんは自然といつも治樹さんの左側に)

 

◇耳が聞こえないのにバンドをやっていたんですね。

 

(治樹)右耳は聴こえてなかったんですけど、音楽を聞くのは小さい頃から好きで、LUNA SEAが好きなんですよね。

それで、どうしてもバンドをやってみたくなって、高校から軽音部に入ってバンドを始めたんです。

最初は周りの音を聞くのに苦労したんですが、徐々に慣れてきたんです。

始めた当初はギターだったんですけど、どうしてもFコードが弾けなくて、ギターは途中で断念。

ドラムもかっこいいなと思っていたので、それからはドラムを叩いています。

大学卒業後も続けて、実はプロを目指していたんです。

25歳の時に大手の音楽事務所から声がかかってデビュー目前まで行ったのですが、その会社から音楽性のことでいろいろ言われて、結局デビュー目前でバンドが解散・デビューの話も無くなってしまいました。

その後もまたバンドを作って続けたんですけど、音楽性の芯が固まらないまま5年後にそのバンドも解散、プロを目指すのはそこで諦めました。

パン屋の道に入ったのは、バンドが解散してからなんです。

(奥でドラムを叩いているのが治樹さん。)

 

◇ロゴのゴリラがドラムを叩いているのも納得です。

パン屋を目指す前は、バンドマンだったんですね。

 

(治樹)自分は小さい頃から人を楽しませるのが好きだったんですよね。

自分で言うのもなんですが、学生時代は人気者で目立ちたがり屋で、学級委員にも選ばれたりしてました。

今でも人を楽しませるのが好きで、移住してからも時々ドラムを叩いて演奏するんですけど、周りの皆さんが喜んでくれるのを見るのが好きなんです。

エンターテイメント性のあるものが好きなんですよね。

劇団に入って俳優として舞台に立ったりもしてましたし。知子さんもバンドをやっていたんですよ。

 

(知子)私も、高校生の時に軽音部でバンドを始めました。

高校デビューしたいな(笑)なんて思って始めたのがきっかけだったんですが、バンドを始めたことで自分自身に大きな影響がありました。

それは、「自分自身の意見をしっかりと伝える」ってことで、

私自身小さい頃からおとなしくて、自分の意見を言うような性格ではなかったんです。

子供なのに泣かない赤ちゃんだったらしいですし(笑)。

それがバンドを始めて、メンバーと話し合うときに、しっかり自分の意見を伝えないといい演奏ができない・みんなと楽しんで演奏できないなと気づいたんです。

それ以来、自分の意見はしっかり伝えるようにしています。

治樹さんに出会ってすぐに開業の資料準備したことなんかも、バンドを始めてなければなかったことかもしれないですね。

(おとなしかったという知子さんの幼少期)

(治樹さん、面影がありますね)

 

◇ご夫婦揃ってバンドマンとは驚きました。そういったご経験は、

パン屋と並行してやられている地域おこし協力隊としての活動にも、さまざまな形で活きそうですね。

 

(治樹)自分は、協力隊としては町の観光・イベントの振興が任務になっています。

バンドマンであったことが活きそうなことがあって、田子町には、青森県の無形文化遺産に選ばれている田子神楽だったり、地域の盆踊りナニャドヤラだったり、音を使った地域の芸能があるんです。

これまでの伝統を大事にしつつ、今の音楽やバンド・ドラムと掛け合わせることで新しいものが見えてくるんじゃないかなんてことも考えています。

地域の方の理解がないとできないことではありますけど、例えば自分がドラムを叩いて、ナニャドヤラをやってみるなんてこともできるんじゃないかなと。

いつかはこの町で音楽フェスとかもやってみたいとも考えています。

(移住してきて、地域の伝統芸能にも挑戦。さすがバンドマン、様になってます!)

 

(知子)私は、地域おこし協力隊の任務としては移住・定住担当なので、移住者の交流推進や移住希望者のサポートを行なっています。

東京に出張して移住イベントに参加したり、オンライン移住相談会を行ったりしています。

バンドを始めたことで分かった自分の意見を伝えることの重要性が、移住希望者へのサポートという今の協力隊の仕事にも活きているように感じています。

将来的には、移住支援団体を作って田子町に移住してくる方達の受け皿にもなりたいですね。

あと、栄養士・野菜ソムリエの資格も活かして、ニンニク以外にも美味しい野菜が田子町にはたくさんあるので、そういったもののPR・ニンニク以外の特産品作りなんかもやりたいです。

子ども服や不用品のリサイクルができるようなシステムもできたらいいなと思っているので、パン屋以外でもやってみたいことがたくさんありますね。

(バンドがきっかけで身につけた「自分の意見を伝えること」。移住相談会でも役立っていそうです。)

 

◇パンの事業だけに留まらず、さまざまなVisionがあるんですね。

 

(知子)移住してから1ヶ月後にYoutubeのチャンネルを開設して、私たちの青森での暮らしの情報を発信したりもしています。

(Youtube:夢見るパン屋の地方移住ちゃんねる https://youtube.com/@user-nk8sc9el9x)

私たちはパン屋を開業したいと思って移住してきたんですけど、あくまでパン屋をやるのは1つの手段だと思っていて、

根本には「自分達の理想の暮らし方を田子町で叶えていきたい」

と言う考えを持っています。

その理想の暮らしの1つとしてあるのが、

「私たちがその時その時に想うことを外に伝えていくこと」なんです。

私たちは少しずつ私たちなりの理想の暮らしに近づいていっているとは思うんですけど、世の中には治樹さんが移住前に悩んでいたように仕事で悩んでいる人とか、やりたいことがあるけどやれない環境にいる人とか、生活を変えたいと思っている人がたくさんいると思うんです。

そういった人たちに私たちのYoutubeやSNSでの情報発信を通して、少しでもみなさんなりの理想の暮らしに近づいていってほしい、その手助けになってくれればなと思ってYoutubeやSNSで情報発信をしています。

(Youtubeの編集は治樹さんが担当。動画の編集は移住してきてから覚えたとか)

 

◇バンドを始めて分かった「自分の意見を伝えること」がYoutubeにも繋がってるんですね。そんな理想の暮らしのために様々なことにチャレンジしているお二人。

パン屋の方では、いよいよ来年「りんごとごりら」のお店がオープンすると伺いました。

どんなお店にしたいと考えていますか?

 

(治樹)バンドや劇団など、人を楽しませることが好きだった自分にとっては、オープンするパン屋にもエンターテイメント性を感じてもらえる、お客さんがお店で楽しんでもらえるような店作りをしたいと思っています。

それこそ、魔女の宅急便のグーチョキパンみたいなイメージです。

パンの匂いや見た目、暖かみのある店内の空気を「五感」で楽しんでもらいたいです。

お店のロケーションとしては、田子町の中心地も良かったんですが、田子の自然豊かな景色を楽しんでもらいたいと思い、中心地からは少し離れたところに構えようと思っています。

お店に来てくれたことへの特別感を作り出して、ぜひ五感で楽しんでもらいたいです。

もちろん、なかなか遠くに来れない方向けに町内中心地での委託販売や、イベント出店はこれからも続けたいと思っているので、ご安心ください。

 

(知子)田子町の農家さんと話していると、商品にならない農作物がたくさんでることがわかりました。

時折農家さんからそういったものをいただくことがあるのですが、そういった商品にならないものをうまく加工してパンの材料として使って行きたい、今まで農家の皆さんがお金にならなかった部分を活かしていきたいと思っています。

今はそういったものを、「お金はいらないよ。」と言われて買わせてもらえないこともあって、

私たちがお店を出す・結果を出すことによって、商品にならなかったもの・捨てられていたものに価値を生み出す循環ができればと思っています。



◇これまでにない新しいパン屋が田子町にできそうですね!

最後に、お互いにメッセージをどうぞ!

 

(知子)私の方が社交性があるからってことで、私がりんごとごりらの代表を務めさせてもらってますが、治樹さんの方こそ社交性があって外に出て行ける人だなって思ってます。

移住してきて、いろんな人と繋がっていつも周りを楽しませている。

治樹さんが代表でよかったんじゃないかとも思ってるけど、私は私でできることを頑張りたいと思っています。

今後も頼りにしています。

パンの製造も大変だし、人付き合いで外に出ないと行けないことが多いけど、腰とか痛めることなく頑張ってほしいです!

 

(治樹)何をやるにしても一生懸命やる人。

不器用だから失敗もあるけど、自由に、実直に取り組まれる姿を尊敬しています。

枠にとらわれず、自分を持って、パン屋だけではなく経営の幅を広げて行ってほしいです。

自分の意思を信じて経営して行ってほしいです!

◇お二人の今後の更なるご活躍を期待しています!ありがとうございました。

 

 ありがとうございました!



-あとがき –

実は、木村夫妻とは、もう2年の付き合い。

「人を楽しませることが好き。エンターテイメント性のあるものが好き」

そう語ってくれた治樹さんと知子さんの周りは、いつも明るい空間で自然と元気にさせてもらえる、そんな空気感が漂っています。

彼らが移住してきて驚いたのは、パン屋をやりたいと言ったことよりも、

「町の空気を明るく変えたこと。」

パン屋をやることは誰でもできるけど、町や場の雰囲気を明るく変えることは誰にでもできることではないと言うのを、感じていました。

そんな彼らがいよいよ来年パン屋をオープン。そしてそれ以外のところでもさまざまなチャレンジを継続しています。

彼らが作るパンも、五感で楽しめるパン屋も楽しみですが、

今後彼らがどんな空気を田子町で作ってくれるのか、こちらも楽しみです。



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りんごとごりら

営業時間:不定期でイベント出店などされています。詳しくは下記SNS等でご確認ください)

 (Twitter:りんごとごりら  https://twitter.com/ringotogorilla)

 (Instagram:りんごとごりら https://instagram.com/ringo.to.gorilla)

 (Youtube:夢見るパン屋の地方移住ちゃんねる https://youtube.com/@user-nk8sc9el9x)

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(Written by 五十嵐孝直(サンノワ田子町PR大使)

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田子町だからこそできるパーソナルトレーナー事業

田子町だからこそできるパーソナルトレーナー事業

こんにちは。サンノワ田子町担当の五十嵐孝直です。

 

コロナ禍で外出もままならず、運動不足に、偏った食生活。

こんな世の中だから仕方がないとそのままにしていると、思わぬ体の不調や病気に悩まされることもあるかもしれません・・・。かく言う私も、先日無理なウォーキングをして首を痛めました。

健康な身体を維持することは簡単ではありませんが、もし身近に頼れるプロのトレーナーがいたならどうでしょうか?

今日は、田子町で新たにパーソナルトレーナー事業を始められた地元出身の若者をご紹介します。

 

◇自己紹介をお願いします。

 

小島豪悟(コジマタケノリ)、24歳です。田子町出身です。田子町で、パーソナルトレーナーの事業、「Conditioning Gym FORCE」を運営しています。

 

◇これまでの経歴を教えてください。

 

地元の田子高校を卒業した後、仙台にある専門学校でスポーツトレーナーの資格を取りました。NSCA(全米ストレングス&コンディショニング協会)というパーソナルトレーニングの先進国アメリカの協会が認定する資格です。その資格を取得後、大阪の複合トレーニング施設に就職。2年ほど勤めたのちに2020年7月に田子町に戻ってきて、八戸の企業に就職しました。1年ほど勤めた後、2021年10月に「Conditioning Gym FORCE」を起業しました。

◇Conditioning Gym FORCEではどんな事業を行っていますか?

 

パーソナルトレーナーの資格を活用し、

「トレーニング指導」

「ボディケア」

「介護予防」

の、3つを行なっています。例えば小学生や学生であれば体を鍛える「トレーニング指導」を、働く世代にはもみほぐしなどの「ボディケア」を、年配の方であれば「介護予防」になるようなトレーニングを、幅広い世代の方にそれぞれの希望にあった施術やトレーニングを行なっています。

 場所は、田子町にあるサンモール商店街のにぎわい広場を間借りさせていただきながら、三戸町や三沢でも出張トレーニングを行なっています。

◇ パーソナルトレーナーを目指したきっかけはなんだったのでしょうか?

 

小学校の2年生から高校3年生まで地元の野球部に入っていたのですが、高校3年生の最後の夏の大会、肘や肩を怪我していてイップスのような状態になってしまい、良いパフォーマンスを発揮できませんでした。その時通っていた鍼灸院で多少良くはなったのですが、そういった経験からもっと体のケアのことを勉強して、他の方に伝えていきたいなと思ったのがきっかけです。

◇ご自身の怪我からくるボディケアがきっかけだったんですね。ボディケア以外に、トレーニングも事業としておこなっているきっかけみたいなものはありましたか?

 

そうですね。怪我をしてしまったところからトレーナーになりたいなと思ったのですが、実はもうひとつトレーナーを目指した理由があります。これは田子町から離れて気がついたのですが、田子町は皆さんお気づきのように人口も減っていて、子供も少ない過疎化の町。そんな環境ではありますが、田子町の子供たちは小さい頃から相撲やスキーなど多くのスポーツや競技に触れ合う機会があって、他の町の子供たちと比べても運動のスペックが高いことに気がつきました。自分の周りでも、特に中学の野球部の先輩たちは本当にスペックが高かったなと思っています。もしそういった子供たちが小さい時から自分が目指したいレベルに到達できるトレーニングをしていたら、もっと上のレベルまで行けるんじゃないかなと感じていました。プロ野球を目指す子供たちが田子町にいるなら、そのレベルに行くまでのトレーニングを教えてあげたい。地元田子町に帰ってきたのも、そういったスペックの高い田子町の子供たちが持っている能力を引き上げてあげたいから地元で起業しました。

(当時の同級生たちと)

 

◇確かに田子町の皆さん、体が大きい方が多いですよね。それでいて何をやっても器用にこなすイメージがあります。3つ目の介護予防のところはいかがでしょうか?

 

専門学校卒業後、最初に入った大阪の複合トレーニング施設ではボディケアやトレーニングがメインではなく、「療育」というのをおこなっていました。療育というのは、自閉症やダウン症などの障害を持った子供たちに、運動を通して自分の感情をコントロールできるようトレーニングをおこなったり、年配の方には老後に介護が必要とならないように健康寿命を伸ばすトレーニングをすることを言います。障害を抱える子供たちは自分が好きなことには集中力があるのですが、それ以外になるとなかなか集中力が続かなくて。トレーニングを通して自分が好きでないことにも集中力を持って取り組めるように、トレーニングを行っていました。また年配の方々には、寝たきりにならないためのトレーニングを行なっていました。寝たきりになると、自分自身だけでなく家族の負担も大きくなってしまいます。自分の体が動ける期間を長くする、心肺機能を上げる、足腰を鍛える、そういったことを予防の観点で行うことで健康寿命を伸ばし、介護の負担を軽減することを目的に療育を行なっていました。こういった経験から、年配の方が多い田子町では介護予防を重点的に行えればと思い、事業を行なっています。

◇私の祖父も約10年寝たきりでした。祖父自身も苦しい思いをしたと思いますが、確かに家族の負担も大きかっただろうと考えれば、そうならないための予防としてトレーニングはおこなっておきたいですよね。

 

そうですね。事業名を「Conditioning Gym FORCE」としたのもそういった想いから来ています。いわゆる皆さんが持つジムというイメージは「体を鍛える」場所という印象があると思いますが、私としては英語でConditioning、日本語で「体を調整する・体の調子を整える」というということを目的としています。若い人であれば怪我をしないように、怪我を治すために体を調整していく、年配の方であれば自立して生活できる期間をなるべく長くできるように調整していくようなイメージです。そして、「FORCE」。これは、パワーや力、勢いを与えるという意味です。体をしっかり調整し、そこにパワーを加えてあげることで競技力や日常生活の向上に繋げていきたいという想いがあります。もちろん、今流行っている筋肉をたくさんつけるようなトレーニングも教えることは可能ですが、私としてはしっかりと体の調子を整えて、競技や日常生活に支障がない調整を行うトレーニングを教えていきたいと思っています。

(事業のロゴ。3つの槍は、「成長」、「実現」、「変化」の意味。周りを囲む螺旋の輪は切れないつながりをイメージしている)

 

◇事業を始めて4ヶ月ほど経ったと思います。周りの反応はいかがでしょうか?

 

まだまだ始めたばかりで、もっと田子町の方々に私がやっていることを知ってもらう努力をする必要があるなと感じています。こういったジムは通うことに恥ずかしさや抵抗感がある方も多いと思いますが、一歩踏み出してもらえれば自分の体の変化を感じてもらえると思います。実際に指導したお客様からも、施術前と後での体の変化を実感していただけています。ぜひ、お気軽に施術を受けにきていただきたいですね。

 

◇今後はどんな事業展開を考えられていますか?

 

コロナ禍でトレーニング施設の利用も制限があり、せっかくトレーニングを行いたい方がいても場所が確保できないことがあります。また田子町は整骨院などが昔あったので、ボディケアとしてのジムの利用には馴染みがあるようなのですが、まだまだトレーニング、介護予防という点ではジムを利用することへの抵抗があるように感じています。そういった環境を改善するため、2022年中に田子町に常設のジムをオープンさせようと考えています。今は商工会の場所を間借りさせていただいているのですが、トレーニングに必要な大きな機材などは置くことができません。また、身近にそういったジムが常設であることで、周辺に住む方のジムのイメージを少しずつ変えていければなと思っています。また、ジムができたらそこを拠点にオンライントレーニングをおこなったり、食が豊富な田子町で健康食やダイエット食の開発、筋力をつけるためのプロテインの販売なども行なっていきたいと考えています。

 

◇青森県の、特に田子町の短命県返上の鍵は、小島さんにかかっていそうですね! 本日は貴重なお話ありがとうございました。

 

ありがとうございました!

 

-あとがき –

24歳という若さながら、自分が育った町の現状を冷静に見極め、今の町にあった事業を誠実に展開しようと考えている姿は、話を聞いていてもとても24歳とは思わせないしっかりとした事業者という印象がありました。

人口が減り、特に若い世代の地元離れが止まらない地方において、小島さんのように地元に帰ってきて新しいことに挑戦するのは、決して簡単なことではないですよね。

そういった壁を一つずつ乗り越えていく小島さんを、当たり前に周りが応援できる環境を作るのも大事なことだなと感じました。

ぜひ、誠実でまっすぐな小島さんへの応援を皆様よろしくお願いいたします。

 

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Conditioning Gym FORCE

 定休日:不定休

 営業場所:田子町、三戸、三沢

 *営業場所や時間に関しての詳細は、下記のインスタグラムからご確認ください。

  https://instagram.com/conditioninggym_force?utm_medium=copy_link

 料金

  ・もみほぐし 15分1,000円 / 1時間4,000円   

  ・パーソナルトレーニング   

        4回プラン(各1時間)    15,000円 (学生は10,000円)

        8回プラン(各1時間)    28,000円 (学生は20,000円)

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(Written by 五十嵐孝直(サンノワ田子町PR大使)

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地域の魅力は清水屋旅館の魅力 @極檀優也さん(南部町)

地域の魅力は清水屋旅館の魅力 @極檀優也さん(南部町)

サンノワがリリースして約1か月が経ちました。

今回は、編集長2回目のインタビュー記事です。

お相手は、三戸駅前にある清水屋旅館で、5代目となるべく修行中の極檀優也さんです。

ご本人には、インタビュー予定は、1時間程度とお伝えしていながら、結果は2時間超!

編集長が深く共感した、極檀優也さんのお話が伝わると嬉しいです。

 

◇ 自己紹介をお願いします

 

極檀優也

 

南部町の清水屋旅館の3人兄弟の長男として、1994年3月に生まれました。現在27歳です。
近所の保育所、小中学校を卒業し、八戸高専(5年制の学校)へ入学しました。
4年生までは、寮生活でしたが、卒業後は東京へ行く予定でしたので、最後の1年間は自宅である清水屋旅館から学校へ通いました。
家族との時間を持ちたいというのが理由です。

 

清水屋旅館

 

八戸高専卒業後は、東京農工大学の3年生へ編入し、卒業後は大学院へ。
4年間で化学の勉強へ打ち込み、修士号を取得しました。
卒業後は、化学メーカーへ就職しました。
配属地となる宮城県内の工場へ勤務し、その後2年で退職して、昨年4月にUターンしました。

 

◇ 都心部の生活は楽しめましたか?

 

都心部と言っても、中心地で過ごしていたわけではありません。
社会人として過ごした宮城県は、仙台の市街地ではなく隣の多賀城市寄りの中野栄という郊外の街に住んでいました。
郊外に住んでいたからということではありませんが、休みの日なんかは、よくドライブに行っていました。
近隣のダムを見に行ったり、宮城県内の他、山形や福島の有名な温泉巡りなんかしました。
その中で、今の活動にも繋がっているキャンプなんかもはじめました。

 

◇ 南部町へ帰えるまでの経緯を教えてください

 

正直、前向きな理由で帰ると考えてた訳ではありません。
きっかけは、宮城での仕事が合わなかったことが大きいです。
仕事内容が、新しいことへの取組みではなく、過去に作られたプラントなどの維持がメインでした。
長年の経験を活かすことが得意な優秀な先輩方も多いので、付いていくのも大変でした。

そんな中で、次のことを考えている内に、地域おこし系の仕事に興味を持ちました。
石巻の町おこし、長野のゲストハウス、北海道のWWOOF(農業を手伝いながら滞在する取組)等を現地で学んできました。

色々な地域を見て、沢山の方が好きなことを仕事にしていることに気が付きました。
そして、義務感ではなく、田舎で好きなことを仕事にしたいと考えるようになりました。

 

◇ そして南部町へ帰ると決めたんですね

 

そのタイミングでも決めていませんでした。働ける場を探しているときに、地元の南部町も選択肢として考えましたが、地元には好きなことを仕事に出来そうな場もなさそうだし、実家の清水屋に戻ってもプランも思い浮かばなくて、田舎で仕事をするんだったら、どこかの地域おこし協力隊とかでキャリアを積むのが良いのかなと考えていました。

 

地元のイベントがUターンを決意させる

 

そんなことを考えている時期に、サンノヘエキマエヒロバという実家近くのイベントを知りました。
調べてみて内容に興味を持ち、一度参加してみたいなと思い、主催者へコンタクトを取ってみることにしました。
実家近くで燻製商品を作ったり、カフェをやっている、南部どきの根市さんです。

最初は、イベントの裏方的な関わり方を考えていたのですが、
根市さんよりイベント後の地域への想いを伝えるプレゼン大会に出て欲しいと言われてから、気持ちも変化してきました。

 

ゲストから主体者への立ち位置の変化

 

プレゼン大会で地元への想いを話しているうちに、自分は地元が好きなんだと再確認する機会となりました。
そして、瞬間的に気持ちが盛り上がり、実家を継ぐことを発表しました。
瞬間的な発表とはいえ、実家の旅館に関しては、元々何とかできないかなとは考えていました。
大学入学前に両親が話していた、「清水屋は私たちの代で終わり」って、言葉が心に残りずっとモヤモヤはしていました。
ですので、清水屋に関しては、自分ではない他の方に継いでもらう、事業継承で関わるイメージは考えていたのです。
それが、自分で継ぎたいと言う気持ちに変わったわけです。

サンノヘエキマエヒロバで、これだけ地域で楽しいことをやろうとしている人たちがいて、
清水屋旅館の息子である自分が、何もやらないというわけにはいかないと思いました。
また、数年後には、この地域は面白い事になるという希望を持てたことが大きいです。

 

◇ Uターンしてからのことを教えてください

 

帰ってきて間もない頃は、旅館を盛り上げるアイデアを練る時間に充てていました。
最初に考えたことは、地域資源とかの活用ではなく、料理で特色を付けることでした。
料理のプランとかで、集客したいと思い、料理長である父親に料理を教えてもらいながら、自身が料理人としてスキルを磨くべく、近隣店舗で料理修行しました。
料理人として腕を磨くために複数店舗での修行を考えていました。

 

アジャイル思考(課題への機敏な対応)による柔軟な活動

 

そう思っていながら、近隣店舗の修行は8月末で辞めてしまいました。
理由は二つ。一つ目は、当旅館に来る方々の想定ニーズです。
料理なのかと疑問を持ち、客層が違うのでないかと気が付いたことです。
料理が美味しいことは、付加価値にはなるだろうと思います。
ただし、それが最大効果にはならないのではと。

二つ目は、自身の素養です。料理が合わない性格なんだと思いました。
当旅館の料理長である、父は細かいところまで目が行きつく性格ですが、自分はおおざっぱな性格で、そもそも合わないなと。
何か一つを極められたらと考えていましたが、料理は極められないなと痛感しました。

 

料理から地域の魅力発掘へ

 

その後、1か月程経ったあたりから、青森県の宿泊キャンペーンがはじまりました。
このキャンペーンの適用条件として、地域おこしに繋がるような特色あるプランを提示する必要があるのですが、このタイミングで、プランニング(企画)で価値を上げることに可能性を感じました。

清水屋にしかできないプランを考えながら、地元のお酒や南部せんべいのお店と関わることで、
清水屋と町の関わりを考えるきっかけになりました。
創業130年を超えた旅館ですし、町おこししたら自然に清水屋も盛り上がるなと思いました。

 

清水屋旅館の方向性と自身の思考の転換点

 

料理の修行から約1か月間は、ただ旅館の手伝いをするだけという感じでしたので、宿泊キャンペーンによって、自身の地域おこしと旅館の価値向上を繋げる「プランニング」という考えに魅力を感じるようになりました。
もし、キャンペーンがなく、ただ手伝っているだけだったら、その考えには至らなかったかもしれません。

そのタイミングで、写真を撮る機会も増えました。
地元の人も忘れている素晴らしい景色を発掘したい。町の魅力は、清水屋の魅力。という観点から、南部町の他、隣の三戸町や田子町の景色を撮り、インスタグラムへの投稿やフォトブックを作ったりしました。
フォトブックは、お客様が直接手に取って見てもらう機会となり、周辺観光の促進にも繋がりました。

 

清水屋旅館

 

デザインありきでなく、ありのままを伝えたい。

 

南部せんべいを活用したキャンペーンプランの準備では、南部町と三戸町の主要なせんべい屋を全て周りました。
はじめは無愛想だった店のお母さんが、何度か足を運ぶようになると会話が弾むようになり、お互いに笑顔になれる関係性が心地よいなと感じました。

せっかく良い関係性を築くことができたので、永く続くような、次の一手を考えたいですね。

とは言え、何か目新しいことをしたい訳ではありません。
例えば、デザインだけ目新しい南部せんべいが売られていますが、個人的には違和感を持ってしまいます。
その目新しいデザインのせんべいが売れたとしても、その周辺の今まで通りのせんべい屋は衰退していく。
田舎で仕事するときは、元々ある事業を邪魔する事業はやるべきでないという想いが強いので、地域おこしと言う名目で、地域文化を壊すような手法は好きではありません。
おじいちゃんが焼いて、おばあちゃんが袋につめていく。その風景まるごとが南部せんべいだと思っています。
このありのままの風景をPRできる取組みなどが好きですね。

 

◇ おすすめの「地域のありのまま」を教えてください

 

三戸駅前で約15年位前から続いている朝市ですね。
夜明け前から、駅前に店舗代わりとなる軽トラックが集まり、
野菜、くだもの、コーヒー、編み物、服、花、串餅、やきとり等が売られます。

 

三戸駅前朝市

 

自分も出店者として、惣菜、卵焼き、照り焼きチキン、ホットサンド等を売っています。
周辺の地元客が井戸端会議的に集まる、地元交流の場として、
この周辺では、一番面白いと思う取組みですね。

 

ホットサンド

 

◇ これからやりたいことを教えてください

 

沢山あります。まずは、清水屋の裏庭整備です。
自前のテントや友人から借りたテントや備品で人が集まれる場づくりをしています。
先々は、裏庭を芝生にして、地域の人たちが集まれる公園のようにしたいなと考えています。

 

裏庭テント

 

旅館のためだけではなく、「地域のために何かをやる旅館」としての在り方、モデルとしてこの活動を地域の方々に見てもらいたいです。
整備しながら、イベント、テントサイト、近所の居酒屋メニューが集まるビアガーデン等をやりたいですね。

 

ポップアップバー

 

また、簡単なつまみとお酒を用意したポップアップバーや、
テイクアウトメニューを販売する、キッチンカーなんかをやります。

 

ポップアップバー

 

不定期ですが、土曜に鍋のテイクアウト販売していますが、毎回50~60杯は完売します。
近隣の方々が隔週レベルでも買ってくれるんですね。
それだけでも十分嬉しいのですが、できればもう少し広域の方々にも来て欲しい。
でも、そんな簡単に来るのは難しいだろうなと。
それなら、こちらから行こうと考えて、キッチントレーラーを購入しました。

 

清水屋旅館テイクアウト鍋

 

こんな感じで、やりたいこと(手段)は、沢山あるんですが、目的は固まっています。
それは、きっかけづくり、手軽な感じで巻き込める仕組みづくり、地域の交流の場づくりです。
キッチンカーで繋げ、共通の想いを持つ仲間が集まる場にしたり、田舎の地区ごとの交流が町や圏域の交流へ繋げられたら嬉しいです。
これが、地域の魅力づくりであり、清水屋としての魅力づくりとなると思っています。

 

ーあとがきー

 

「地域の集まりへの参加は楽しいし、喜ばれる」と、自分が楽しみ、地域の方々と楽しむことで、地域の内側からの魅力発信への想いを大切にしている極檀優也さん。

南部町の魅力発信は、彼にお願いするしかないと、サンノワのライターをお願いし、快諾いただきました。

南部町担当の極檀優也さんの記事を楽しみにしてください。

 

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割烹白山後編~川蟹すいとんの魅力は作り手にあった~

割烹白山後編~川蟹すいとんの魅力は作り手にあった~

いやあ、、先ほどの記事(割烹白山前編)に出てきた川蟹すいとん
美味しそうでしたね、、
川蟹のうま味と共に、すいとんへのこだわりが記事に溢れ出ていましたね!さてさて、先ほどの記事の途中にもありましたが、
川蟹すいとんは、川蟹の捕獲量が減少したことから
一時はメニューから消えてしまいます。
ですが、2年間の試行錯誤のすえ15年の歳月を経て復活しました。「割烹白山 後編」では、
割烹白山の歴史と
川蟹すいとんの復活のキーパーソンとなった
割烹白山専務 本庄孝浩さんについて、お話していきます!

割烹白山の始まり

割烹白山は元々、魚屋さんだったそうです。
魚屋さんから食堂に変わったきっかけは結婚披露宴でした。
当時は結婚式を公民館で行っており、日頃商売をする人たちで集まって
結婚式をプロデュースしていました。
社長は料理が得意だったため、料理長として結婚披露宴を盛り上げていました。
そこで、社長が振舞っていた料理が、「川蟹すいとん」だったそうです。
家庭でも、川蟹スープは作られていましたが、
先代が作り出す絶妙な川蟹スープが好評で、
郷土料理である、ひっつみと掛け合わせて
川蟹すいとんを看板メニューとして、食堂をはじめました。

これが割烹白山の始まりです。
割烹白山

新しいものをつくるだけがはじまりじゃない

本庄さんは川蟹すいとんの復活だけではなく、
未来に綺麗な川を残すための活動もしています。
具体的には、毎年7月の下旬から8月の上旬に
川祭りというお祭りを行っています。
お祭りでは、熊原川の川の中が巨大なプールに変わり、
川魚つかみ取りやいかだ&チューブでの川下り遊びなど
川だからこそできる遊びを一日限定で行っています。
普段は、川で遊ぶのは禁止されていますが
子供たちに川へ気持ちを向けてもらいたいという想いから
お祭り当日だけ、許可を取り、開催しています。
川祭りの様子を写真で見させていただきましたが、
子供たちの笑顔がまぶしくて、自然と頬がほころびました、、
川祭りの様子を見ている写真
地域活性化と聞くと、地域でイベントを行う、特産品を使って商品開発など
時代に合わせて新しいものを追い求め、新しいことをしなければならない
新しいこと=地域活性化になってしまいがちです。
ですが、新しいことだけが、活性化だけではなく
懐かしい、守りたい、といという愛おしい気持ちになれる
元々あったものをもう一度“復活”させることも
地域の未来につながると学ぶことができました。
記念撮影
多くの人の想いと手間が詰まった川蟹すいとん
三戸に来たら、ぜひ川蟹すいとんに会いに行ってみてください!

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三戸大神宮~みこにゃん、キャサリン、歴史とユニークさで溢れる神社~

三戸大神宮~みこにゃん、キャサリン、歴史とユニークさで溢れる神社~

日が沈みはじめたごろ、夕日の光を使って、
キラキラと輝いている灯籠に目をひかれ、
三戸郵便局の向かい側にある、三戸大神宮を訪れました。入口に設置してある灯籠に近づいてみると、
それはステンドガラスでできており、
和と洋が、絶妙に掛け合わさった灯籠を見て、
ここの神社は面白い人、モノに出会えそうだ
というワクワクした気持ちになり、
軽い足取りで石段を上っていきました。
三戸大神宮の灯籠
最初は、軽い足取りで石段を上っていましたが、
だんだんと息が上がり、足がぁ、、と思いはじめたころに
三戸大神宮が見えてきました。後から聞いた話ですが、石段は100段あるそうです、、
女子大学生でも体にきたので、石段を上る際は、
少し覚悟が必要ですね。。三戸大神宮の鳥居
存在感があり立派!!!参拝しようと鳥居をくぐり本殿に近づくと、、
なんと両端の提灯にねこのキャラクターが!!かわいい、、、
彼女たちの名前は、
写真向かって左にいるのが“みこにゃん”で、右にいるのが“キャサリン”三戸大神宮の本殿
みこにゃんは、三戸(さんのへ)を別の読み方にして三戸(みこ)と読み、
三戸(みこ)と巫女(みこ)のふたつの意味を併せもつ招き巫女。
キャサリンはイギリスロンドン出身。みこにゃんの相方。
海外出身ですが、“来三鈴”としっかり漢字があるんですよ!

三戸大神宮のグッズ

「神社らしくない」が褒め言葉なんです。

と笑顔で語ってくれたのは、禰宜(ねぎ)の山崎貴行さん。
ステンドグラスやねこのキャラクターなど、
ほかの神社では見られない光景が広がっていましたが、
大阪と言えば、食い倒れ人形。関西と言えば恵比寿さん。じゃあ青森と言えば、、?
というときにぱっと浮かんでくる、青森=○○を生み出したい
という気持ちを持っていたそう。

そこで三戸をみこと呼び、天照大神のお使い招き巫女みこにゃんを
山車アーティスト夏坂和良さんと共に誕生させ、
相方としてイギリスロンドン出身のキャサリン(写真に向かって右)が
誕生したそうです。
彼女達は、三戸大神宮の看板キャラクター、
いやアイドルともいえる存在で
地元の方たちの愛をたくさん貰っていました。

山崎さんは自分自身で三戸大神宮のことについて、
Twitterで発信しており、なんとフォロワーは1000人超え!!

そのほかにも、三戸大神宮ではハロウィンなどのイベントを
行っており、当日は神社にかぼちゃを置いたり、
みこにゃんやキャサリンの仮装をした人や子供たちで賑わうそうです。

キャラクターからイベントまで神社がやっているとは
と思えないことをされていますが、他の神社から批判的な意見は
なかったのか気になりますが。。

やはり、周りからの神社のあるべき姿ではないという話もあったようです。
ですが、格のある神社とそうではない神社の二つがあって良いのではないかと。
基盤に歴史があるからできることでもあり、楽しいことをみんなでやる。
ただそれだけのこと。

記念撮影
これはこうあるべきだという枠にとらわれないで、
日々を楽しくしようとしている
山崎さんの姿は、アグレッシブでファンキーで惚れてしまいそうでした(笑)

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小山田煎餅店

小山田煎餅店

こんにちは!産業能率大学3年の石井です!大正6年(1917年)から創業されている『小山田煎餅店』へ
お邪魔しました!小山田煎餅店では、青森県南部地方から岩手県で食べられている
南部せんべいが作られており
材料はなんと小麦粉、水、塩のみ!

三代目の小山田美穂さん

小山田煎餅店は
100年以上の歴史があります。
現在継いでいるのは小山田美穂(よしお)さん。
名前はいつも“みほ”と間違われるらしく、
初めからよしおだからねとツッコんでいて
とても明るい方でした。

小山田さんはサービス精神がすごく、
焼きたてのせんべいをたくさんいただきました!
小山田せんべい

裏には松の絵が!
焼きたては熱すぎて手でもてないほどでしたが
せんべいとは思えないくらいの柔らかさで
とても美味しかったです。

絶え間ないお客さん

美味しいおせんべいをいただいていると、
続々とお客さんが。
どうやらお客さんは地元の方が多いそうですが、
盛岡や遠方から定期的に買いに来てくれる
お客さんもいらっしゃるそう。

観光客頼りでなはい、地元の方に
支えられているお店だからこそ
強い信頼関係があり
変わらずお客さんは購入してくれるのかなと思いました。

観光で三戸町に訪れる際は、
ぜひ優しくてユニークな小山田さんに会いに、
そして美味しい小山田煎餅を食べに行ってみては
いかがでしょうか!

ここまで続けてこれたワケとは

最後にこの仕事にどのような想いがありますか?
と尋ねたところ、
『嬉しい楽しい誇りをもてる』と呪文のように
3回も繰り返していました。

小山田さんの口から発せられた時、
自然と笑みがこぼれていて
本当に心の底から楽しんでいるのだなと感じることができました。

小山田美穂さん

そして、仕事が趣味の世界とも表現していました。
仕事が楽しすぎて趣味の領域に達しているとのこと。
純粋に自分がやり続けることを楽しいと
自信をもって言えることはなかなかできないことなので
小山田さんはこの気持ちをもって長年続けることが
できているのだなと感じました。

気になる小山田煎餅の種類は・・・

種類はこちら↓
小山田煎餅の種類

よーく見てみると“みみ”や“てんぽ”など
普通の煎餅では見慣れないものが・・・。

“みみ”とはパンのみみと同じ意味で
なんと南部せんべいにはみみがついているんです!

生地を型にはめている様子

このように生地を型にはめ、
上から押して焼いており、
その際にはみでたところがみみとなります。

なんと、そのみみの部分だけの販売もしており、
そのみみもとてつもない美味しさ。
柔らかいうえにこうばしい匂いがたまりません。
お土産に2人のお友達、家族、そして自分用に
4つも買ってしまいました。笑

小山田せんべいのみみ

そして気になる“てんぽ”。
こちらは八戸周辺で作られている煎餅の一種で
通常の南部せんべいとは違い、
焼き加減を抑え、やわらかくてもちもちした
食感のせんべいのことを指します。

やわらかいため、お子様でも安心して食べられるみたいです。
取材が終わって外を出ようとしたら
入れ違いで小さいお子さんとそのお母さん親子が来店されました。

三戸町出身のお母さんは子育てのために
一次帰省中だとか。
息子さんは、お店を出てからすぐに
お母さんに買ってもらったてんぽを
美味しそうに笑顔で食べていました。

来店した小さいお子さん

このように小さいお子さんから
地元の高齢の方まで幅広く
好まれている小山田煎餅。

ぜひ、三戸町に来た際には訪れてみてください。
取材にご協力いただきありがとうございました!

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三戸町で唯一の○○を売る!?丸末果樹農園

三戸町で唯一の○○を売る!?丸末果樹農園

果樹の木は、春の芽吹き前に選定という大切なお仕事があります。
この選定のお仕事をされているのが、
丸末果樹農園3代目園主の船場敏(ふなばさとし)さん。

船場敏さん

主にりんごを育てていますが、
その他にもトマトやさくらんぼを育てています。

船場敏さん

こちらはトマトの栽培途中。

トマトの栽培

奥さまの船場和子(ふなばかずこ)さんは
栽培もですが経理の面で支えています。
夫婦で二人三脚になり、営んでいるすてきな農園。

主に有機肥料を使い汗水流して育てられている
作物は、9割が直販、1割が市場出荷だとか。
自分で作ったものは自分の手で売りたいという
あつい想いをもつ船場さん。

ぶどっぷるジュース

こちらの『ぶどっぷるジュース』は
丸末果樹園でつくられた
ぶどうとりんごを合わせたジュースや
その原液を使った『ぶどっぷるサイダー』が
佐瀧本店で開発されました。

無添加ストレートジュースのため、
小さなお子さまでも安心して飲んでいただけます。
ぶどうのさわやかな味とりんごのすっきりとした甘さが
よく混ざり、とてもおいしいジュースでした。

お土産屋さんや道の駅などで
りんごジュースがたくさん売られていますが、
その中でも11ぴきのねことコラボしているラベルのジュースは、
この丸末果樹農園のストレートジュースのみ。
ぜひお土産に買ってみてはいかがですか?
丸末果樹農園
取材させていただいた船場さんありがとうございました。

産業能率大学3年 石井友理

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「地域おこし」から「人おこし」へ@五十嵐孝直さん(田子町)

「地域おこし」から「人おこし」へ@五十嵐孝直さん(田子町)

 

サンノワがリリースされてから、初めての編集長インタビュー記事です。

記念すべき第一回は、田子町地域おこし協力隊の五十嵐孝直さんです。

編集長と同じ苗字で、同じくIターン(都市部から出身地と違う地方へ移住すること)で青森へ移住。

活動内容も近しいことから、インタビュー第一号は彼に!と決めていました。

五十嵐孝直さんの田子愛や活動内容が皆さまに伝われば嬉しいです。

 

◇ 自己紹介と田子町に来たきっかけを教えてください。

 

五十嵐孝直

 

 千葉県習志野市出身で1985年生まれの36歳です。

大学卒業後に外資系商社へ入社しました。勤務地は横浜でした。

その後、縁があってシンガポール支社を立ち上げることになり、現地代表に就任しました。

そこで6年間、船会社向けの海図販売をしていました。

その後、日本へ戻り、財務チームや高級外車の販促部門マーケティングマネージャーを務めていました。

沢山の経験をさせてもらっていたのですが、このまま大きな企業の枠の中にいるのが自身に合っていないと感じるように。

同時に何かやれないかなと考えるようになりました。

 

そして、色々な可能性を模索していた時に、候補に挙がったのが『バクテー』でした。

日本であまり流行っていない、認知度の低いバクテーを日本に流行らせたいなという想いから、主原料となるにんにくの生産地でバクテーを作り販売するアイデアに至りました。

そのにんにくの生産地として着目したのが、田子町です。そして、地域おこし協力隊募集に応募し、採用されて田子町にやって来ました。移住して3年目になります。

 

◇ バクテーって何ですか?

 

 バクテーとは、胡椒がピリッと効いたスープに、スペアリブなどの肉類とにんにくが入った東南アジア発祥のスープ料理です。

バクテーには、にんにくが必須で、とても重要な材料になります。

シンガポールでは、普段の食事や飲んだ後のシメなど、いつでも食べる、日本でいうラーメンのようなソウルフードとして人気を博しています。

現地では、ごはんや揚げパン、そうめんに近いミースアという小麦の麺などで食べています。

私のおすすめは、そのままスープか揚げパンです。

 

バクテー

 

 バクテーを知ったのは、シンガポール駐在時です。現地の方に連れて行ってもらったお店で知りました。

現地の方が連れて行ってくれるお店ということで、とても期待していたのですが、着いたお店を見てがっかりしました。

正直、汚らしいお店だな。こんなお店で食べたくないなと思いつつ、出された料理がバクテーでした。

そのバクテーが、驚くほど美味しく衝撃を受けました。それ以来バクテーが大好物になりました。

 

バクテー

◇ それでバクテーを田子町で作りたいと考えたのですね?

 

 当初は、作るという発想ではありませんでした。私は料理人ではありませんし、素人が作るってどうだろうって考えもありました。

よって、当初の案は、初めてバクテーを食べたお店の日本進出に介在し、田子町産のにんにくを使ってもらうことでした。

商社的な動きは、私の過去の経験も活かせますし、バクテーが日本で流行れば、主材料となるにんにくの産地田子町の知名度もアップすると思ったからです。

初めてバクテーを食べたお店は、フランチャイズ展開、海外展開をしていたので、日本進出のアプローチをしていました。

先方も、翌年位にはという前向きな感じで話しが進んでいたのですが、新型コロナウイルス感染症で破談となってしまいました。

その流れの中で、自分で作るという選択となりました。素人ではありますが、趣味でバクテーを作っていたので、完全なゼロスタートでなかったという理由もあります。

町の加工場である、産直たっこやで製造し販売することが決まっています。現在実施中のクラウドファンディングが、そのスタートになります。

 

クラウドファンディング Makuake

シンガポールの味をご自宅で。青森県田子町産ニンニク香る究極のバクテースープキット

バクテースパイス

◇ バクテーの材料となるにんにくの産地は田子町以外にも。他地域の選択肢はありましたか?

 

 ないですね。田子町一択でした。にんにくの産地を探したので、当然他地域も目に入りました。実家のある千葉県周辺にもにんにくの産地があることも知りました。

ただ、実家の近場では新しい挑戦に保険を掛けているような気がして嫌だったこともあり、それなら思い切って一度も行ったこともない青森とかにしようと思い、そこから田子町だけを選びました。

 

◇ 田子町に来て丸2年。どんな活動をやっていますか?

 

― 空き店舗の活用 ―

 

 最近購入した、この空き店舗の活用です。使い道やリノベーション、資金調達の可能性を探っています。

この場所で実証事業する形で、空き店舗活用の可能性のプロセス構築、モデルづくりをやります。

自分だけが、ここの空き店舗をリノベーションして活用しても、町自体が強くなる訳ではありません。

ここを通じて、人集め、人おこしをやりたいです。

地元の人が「自分もやってみたい」と言う人を起こすところまでやってみたいです。

 

マルナカ呉服店

 

ここをリノベーションするところを他の空き店舗にも見せたいです。

例えば、ここの動きを評価してくれた役場が助成金を作ってくれたりすると、こんなことができますよと伝えられます。

このままでは、他の空き店舗は、空き店舗のままです。声を挙げること、動く事の大切さを知ってもらいたいです。

ここの今後の活用方法を多くの人に見てもらって、「こんな使い方をしたい」と、空き店舗をどう活用するのか考える人たちの機運が高まる流れを創りたいです。

 

◇ この空き店舗活用の理想や描くゴールはありますか?

 

 私が理想としているのは、岡山県矢掛町での取組みで「アルベルゴ・ディフーゾ」です。

これは、イタリア語で分散したホテルと言う意味で、町全体がホテルであり、寝室やレストランやお土産屋が、町の様々な場所にある。そんな概念です。

この岡山県矢掛町の取組みが、田子町には合うんじゃないかと考えています。

例えば、ここが仮にゲストハウスとした場合に、ご飯は、勇寿司さんに行ってもらったり、お土産は、ガーリックセンターに行ってもらったり、この町が一つのホテルの様に捉えてもらうことをイメージしています。

その取り組みの一環をここが担うことも考えていますし、旅行業の資格も必要なので、現在資格取得の勉強も始めています。

 

五十嵐孝直

― 観光の可能性があるから、町の魅力を掘っている ―

 

 私が去年、謎説きのイベントをやったり、産直マーケットでレジ打ちをしているときに、近隣の方々でも「田子町に来ると遠出してきた感じがする」と話されることが多いんです。

その感覚は非常に大事と捉えていまして、いわゆる旅行した気分になる町であるのではないかと。

ただ、現在は、旅行者を受け入れるようなサービスが少ないため、田子町に来て、大抵がガーリックセンターに行って終わってしまいます。

そこにもう少しアクセントを加えられると、よりこの田子町が観光として活きられる道が出てくるのではないのかなと思います。

そのアクセントに大事なのが、みやむーさん(みやむ~のにんにく。代表の宮村祐貴さん)や、川名さん(Takko cafeオーナーの川名美夏さん)の様な、人を集めようとしている人たちが、もっと楽に集められるようにしたり、もっと商売に繋がる様な仕組みにすることです。

お二人の様に頑張っている人を見ているからこそ、「アルベルゴ・ディフーゾ」と言う考えを持つようになりました。

 

◇ そう言えば、写真展とかもやっていましたね?

 

― 町を循環させるコンテンツを作りたかった ―

 

 昨年のコロナ過の中でも、ガーリックセンターがとても繁盛していました。多くの人たちが、ガーリックセンターだけに集まって帰ります。

その光景を見た時にもったいなと思ったんです。どうにか町を循環させたいけれど、誰も周辺の道を歩かないんです。

そんな時に、ファーマーズマーケットの活用方法を考えるタイミングと重なっていたので、くだらないけど写真展でもやってみようかとなりました。

人をガーリックセンターから別の場所へ引き寄せられないかなという想いからやってみました。

今振り返ると、写真展も「アルベルゴ・ディフーゾ」の考えが根底にあったんだと思います。

写真展の経験は、田子町が、もっと食以外の分野でも伸びていかなければならないという活動の源泉になっています。

 

五十嵐孝直

◇ 観光をやりたいと思うようになったきっかけとかありますか?

 

― 危機感をチャンスに ―

 

 以前、訪れた浅虫温泉を訪れた時に、元々沢山あった旅館やホテルが、世の中の需要変化に対応し、レストランや老人ホームに変わっていることを知りました。

世の中の変化に対応して、町の形が変わっていったんだと思うんですね。

しかし、田子町は変わっていないように感じています。人が減り続けているばかり。高校も無くなる。

このままでは、生活する場所として、最低限の物しか残らなくなってしまう可能性が高いです。

そうなると、田子町は遠い。田舎に来た感がある。そんな部分を伸ばしていかないと町として持続できなくなるのではと危機感をもっています。

そんな考えから、観光の面を伸ばしていきたいなと考えています。

来月には、町の観光協会と一緒に謎解きのイベントをやるのですが、田子町に来る方が食べるだけではなく、町の中を歩いてもらう要素を新たに加えていきたいと考えています。

 

田子町謎解き街歩きイベント

田子町謎解き街歩きイベント 参加申込フォーム

◇ これからやりたいことを教えてください

 

― 地域の声を聞いて、人おこしをする ―

 

 今一番やらなければならないと思っているのは、田子町の人おこしです。ここの空き店舗を掃除したりしていると、「何やるの?」って、多くの方が中に入って来てくれます。

そんな中で、「○○してみたいんだよね」とか、「○○やって欲しいだ」って、意見をもらうことも増えてきました。

構想は持っているんだけど、具体的に動けていない人がいるんだなと知りました。そんな部分を私が関わることで実現化に繋げることができるんじゃないかと思いました。

まず私が受け皿になって、話しを聞いて、活動して行きたいなと考えています。

私一人でできることは限られます。人おこしをすることで、その方々と手を組んでやれることを伸ばしていきたいなと思っています。

ここの場所は、手を加えなければならない場所は沢山ありますが、そんな場所でも地域の方々と一緒にやれること、やりたいことを増やしていけます。

私は、地域の中に入り、地域の方々の声を聞いて、地域の方々と一緒に動きたい。最近改めて感じていることです。

 

― あとがき ―

 

五十嵐孝直さんの「人おこし」という考えは、

編集長の活動内容にもリンクしていて、とても共感しました。

インタビュー後に、サンノワのライターという立場でも

田子町の「人おこし」をやってみませんか?と打診し、

快諾してもらいました。

田子町担当の五十嵐孝直さんの記事も楽しみにしてください。

 

五十嵐孝直さんのアカウント

Facebook : https://www.facebook.com/takanao.igarashi

田子町地域おこし協力隊のアカウント

Facebook : https://www.facebook.com/TakkoTownCRCS/

Instagram : https://www.instagram.com/takkotowncrcs/

 

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時代を三戸と歩んできた「小野寺醸造元」と 歴史を語る果物「ガマズミ」の関係とは

時代を三戸と歩んできた「小野寺醸造元」と 歴史を語る果物「ガマズミ」の関係とは

ガマズミという果実をご存じですか?
ガマズミは、赤くて小さい実なのですが、
その小さい実には、歴史と人々の想いが
ぎゅっと詰まっている果実なのです。

ガマズミの歴史

ガマズミとは、直径5㎜程度の小さな果実のこと。
山や野原で自生していて、秋から冬にかけて鮮やかな紅色の実をつける。
青森県南地方ではジョミまたはゾミともいわれている。
青森県三戸地方では昔、一日中歩き回るマタギたちが、
山中で食料に困ったときに、身体を休めるために、
ガマズミを口にしていたそうです。

ガマズミと小野寺醸造元

下記にある写真の商品は、
味噌や醤油を製造している「小野寺醸造元」さんが、
ガマズミという果実の収穫から果汁にする工程をし、商品化されたものです。
SANNOHE JOMI CIDER
きっかけは常連さんだった。
小野寺醸造元さんがガマズミを栽培し、手を加えるようになったのか
気になりますよね、、、!
ガマズミに目を向けるきっかけになったのは、
常連のお客さんが、ガマズミをもってきたことからはじまったそうです。
その後、ガマズミを研究所で調査し、三戸のガマズミの成分が良いことが
明らかになり、商品化への道を進むことになります。

ガマズミは、寒暖の差が大きく、冷涼という三戸地域の風土に
適しており、三戸で栽培されているガマズミは、ほかの地域のガマズミに比べて
ポリフェノールが多く、成分が良いことから注目されています。
また、ガマズミを食べること目的として、一定以上の数を生産しているのは、
全国でも三戸地域だけだそうです!これこそが地域資源、、

取材させて頂いたときには、収穫が終わっていたため、
ガマズミの実物を見ることはできませんでしたが、
小野寺醸造元のお父さん「小野寺昭夫さん」と
ガマズミの素敵な写真を見していただきました!
小野寺昭夫さん

ガマズミ

ガマズミってどんな味?

小野寺醸造元さんで、ジョミドリンクをいただきました!
酸味が強めですが、飲みやすく、
凝り固まっている体をほぐしてくれる
なんだか元気がみなぎってくる味でした!
ジョミドリンク
そのほかにも、ジョミサイダーと神ツ実ジャムをいただきました!
ジョミサイダーは、どこか昔懐かしい味がして
炭酸のパンチが強めで、お風呂上りに飲みたくなる!
そして、神ツ実ジャムは、酸味が抑えられていて
何にでも合う万能ジャム!
クレープに合わせたり
神ツ実ジャムとクレープ
ヨーグルトに入れてみたり
神ツ実ジャムとヨーグルト
もちろん食パンとの相性は抜群!!!!
神ツ実ジャムと食パン

未来に残していきたい地域資源

三戸町では、町おこしの一環として、何か新しい作物を作り出せないか
と考えるようになり、そんなときに頭によぎったのが
マタギの伝承だったそうです。
そこから、試行錯誤を重ねて、栽培方法を確立し、現在に至ります。
マタギの減少とともに、忘れ去られていたガマズミの果実は
多くの想いと手間により、三戸町の新たな地域資源として
生まれ変わりました。

小野寺醸造元さんを取材していくなかで、
昔の人の知恵や暮らしを、今と結び付けて、
未来に伝えていく姿を見て、
地域の奥深さを知ることができました。
記念撮影

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三戸で一番○○なお魚屋さん

三戸で一番○○なお魚屋さん

魚といえば猫!
猫といえば三戸!になりつつある鈴木です。
左瀧本店の斜め前にあった、とあるお店を紹介します!左瀧本店のご主人が
「少し段差があって道路より低い家があるでしょう!?
そういう家は昔からあって古い家なんだよ〜。」
と教えてくれたので
どれどれ〜と佐瀧本店の入り口から
眼を凝らしていると…道路より低い家
↑メガネ屋さんの両脇の家が道路より低くなっている!視線を右にずらすと、うん?
なんだ、あの可愛い11ぴきのねこのイラストの
描かれているオーナメントは!!
11ぴきのねこのイラストの 描かれているオーナメント道路を渡って駆け寄り
窓越しに覗くとそこにあったのは
たくさんの魚たち…なんと!その可愛い見た目のお店は
お魚屋さんだったのです。炭火で焼かれた帆立とタラ「こんにちはー」と中に入ると、
お店に入ると炭火で焼かれた帆立とタラのいい匂いが…
思わずよだれが垂れてしまいそうでした。急に押しかけたにもかかわらず
お母さんと娘さんは気さくにお話ししてくださいました!
(顔出しは恥ずかしいそうでNGでした…)

仕入れは陸奥湊で毎朝いいものだけをお母さんが厳選しているそう。
店頭にあった帆立もデカいのを選んできたとのことでした!

この日も大きな鯛やイカなど新鮮な魚がたくさん揃っていました。
私はこの日、はじめてさばかれていない生の状態のタラを見て
タラが黒い魚だということを知り、ひとり衝撃を受けていました。

ほかにも美味しそうなみそ大根や切り干し大根などのお惣菜がたくさん!
(ご飯にのっけて食べたい!!)

タラ
お惣菜

肝心の気になっていた11ぴきのねこのオーナメントは
今大学生くらいになった学生さんたちが小学生の頃に描いたものだそうで、
今でも「まだ飾ってある〜」と見にくる方もいるそうです。
飾ってくれている学生さんからしたら嬉しいですよね。

個性豊かなねこのイラストたち
個性豊かなねこのイラストたち
↑個性豊かなねこのイラストたち

そして、最後に衝撃事実!
ここ、梅村魚店は三戸で最初の魚屋さんだそう!
(もっと早く言ってよ!お母さん…)

今のお母さんのおじいさんからやっていて、
昔はリアカーでお魚を売っていたそうです。
時代の変化を感じますね。

72歳のお母さんはご主人が亡くなってから17年、
娘さんと二人三脚で元気にお魚屋さんを今も守っています!
笑顔が素敵な優しい親子に会いに来てはいかがでしょう!?

最後に肉厚ジューシーな帆立を頂いたのですが、
私こんなに大きな帆立初めてで、とても美味しかったです!
炭火焼きサイコー!!!

肉厚ジューシーな帆立

成蹊大学3年 鈴木晴野

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